「3回教えてわからなかったら叩く。」の父の宣言に恐怖を覚えた幼少期の私。

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小学校入学前 ~ 小学校低学年にかけての話。私は父に勉強を見てもらっていました。突然父が「3回教えても理解できていなければ叩く。」と宣言。娘の私は恐怖で頭が真っ白に。結局、父の説明が理解できず叩かれる羽目になっていました。

小学校入学前から定期的に父から勉強を教わる

両親は教師でした。

基本普段の勉強は母親から教わり、定期的に父から教わっていました。

母親の勉強で理解できなかったところを再度教えたり、単元ごとの仕上げをするのが父親の役目です。

父の「3回教えてわからなかったら叩く」宣言が恐怖

父から教わる勉強は必ず「3回教えてわからなかったら叩く。」宣言からスタート。

宣言の恐怖から、心臓は高鳴り頭は真っ白な状態で勉強が始まるため、勉強開始から全く勉強内容を理解できません。

”3回宣言方式”に慣れる日が来ることはなく、毎回叩かれていました。

叩かれた後はさらに恐怖が増し、涙があふれ出てきます。

涙のせいで、テキストの文字が見えなくなる二次被害も発生する始末。

父との学習の記憶は、父に怯え教えられた内容を全く理解できなかったというのしかありません。

当時の父の教育職場では「3回教えてわからなかったら叩く」の効力発揮

「3回教えてわからなかったら叩く。」宣言が効力を発揮し、生徒の成績を上げていたようです。

生徒は叩かれたくないことから集中し、3回以内に覚えることができていました。

また、部活動の指導においても成果を上げています。

父の指導は各大会で常に上位に入れるほど優秀だったそうです。

どこの学校のどの生徒にも成果が出ていたため、周囲の評判は良く、父のやり方に父自身が類まれなる自信をもっていたのです。

娘の私に「3回教えてわからなかったら叩く。」のやり方が通用しないはずはないと、父は信じていたのでしょう。

まとめ;

当時は厳格オヤジが巷に溢れていました。

中でも父は群を抜いていました。

怒っている顔は般若そのものです。

当時はまだ、子供の個性に合わせた教育は一般的には行われておらず、私は気持ちが不安定な子供になっていきました。

残念ながら、程度の違いはあれど、私も含め毒親のトラウマで悩んでいる方々が存在します。

つらい体験をしたのは私1人だけじゃないんだ”と考えられるようになれば、少しでも気持ちがラクになるのではないでしょうか。

私の書く【毒親】の記事が毒親のトラウマで悩んでいる方の助けになれば幸いです。

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